1954年3月1日にアメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験では広い範囲に放射性物質を含んだいわゆる「死の灰」が降り注ぎ、焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」や高知県の漁船の乗組員などが被ばくしました。
水爆実験から70年となる1日、静岡市では大規模な集会が開かれ、全国各地からおよそ1000人が訪れました。
集会ではまず、元乗組員の証言を集める活動に取り組んでいる高知市の男性が、被ばく当時の状況についての証言を紹介しました。
「船内では歯磨きや体を洗うのに海水を使っていたので、今思えば内部被ばくした」とか、「空にはキノコ雲があがり、灰が落ちてきたが、船員たちは夢中で作業を続けていた」といった証言が残されているということです。
このあと、高知県の漁船の乗組員だった父親をがんで亡くした下本節子さん(73)からのビデオメッセージが紹介されました。
下本さんは、マーシャル諸島で1日開かれた式典に出席し、ビデオメッセージの中では「被ばくの影響で故郷の島から避難している70代の女性2人と話すことができ、核実験で人生を変えられてしまった人の気持ちが伝わってきて、『悔しい』という思いを共有することができた」と報告しました。
集会では最後に、核兵器の廃絶を求めるアピールが採択されました。
集会に参加した、「第五福竜丸」の元乗組員の体験を語り継ぐ活動をしている静岡県島田市の粕谷たか子さんは「70年の節目に全国から多くの人が集まってくれてよかった。まず被ばくの事実をしっかり知り、それを次の世代に伝えていくことが大事だと思う」と話していました。